いつだか具体的には覚えてないけど、ペギーとぼくがお互い属してるMoyacyRidersで、DVDを出したいねって話になった。お互い20代半ばを超えるまでチャリに乗ってきて、何かしらの成果が欲しいというごく単純で地味な理由だったと思う。
とりあえず動ける人で撮影を進めて、ちょっと疎遠だったメンバーを触発できればなお良し、みたいな温度感。けっこうみんなに働きかけたつもりだったけど、そう簡単にはいかなかった。20代後半、そりゃみんなチャリンコばっかに時間ツッコんでられないって話だ。仕方ないと思うけど。
ペギーとぼくで撮ったカットが溜まってきたある日、DVDには見切りをつけて、フッテージにしようって流れになった。停滞しまくってるクルーの雰囲気に耐え切れなくて、どちらからともなくっていう感じだったと思う。こうなったら話は早くて「スポットライディングに振り切る」っていうフッテージのコンセプトは、当たり前だけど2秒で決まった。
で「スポットライディング」とか散々イキったくせに公開する瞬間は実は2人してけっこうビビった。
ペギー:これさ…くっそスルーされるかもね…
ぼく:…最悪まこっちゃんに伝わればいいよ…
こんな感じ。
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反応は意外だった。小さいスポットを意図的に使っていることを見てくれる人、クリエイティブだと言ってくれる人、ローカルライダーからサポートライダーまでけっこうな人がブログやSNSに取り上げてくれた。何より、影響を受けてきたゆうごさんや、まこっちゃん、えきさんが、認めてくれたことが嬉しかった。
まあもちろん、なんだこれ?遊んでるだけじゃね?イケてねーなどなど、実際は負のリアクションも多くあっただろうけど、意見の賛否がどうこうというよりも、一つのスタイルとして見られることができたということ自体が大きな成果だった。
ぼくくらいの年齢で「東京のBMXシーン」と言われてSTRANGERやBOREDをイメージする人は結構いると思う。名だたるディストロライダーも東京にいるっちゃいるけど、ぼくは都心のローカルに根付いてきたBMXシーンにしか「東京」を感じなかった。それは、情報や文化の最先端としての東京に興味が持てなかったからだと思う。今の流行りはこれ、次はこれ、っていう様々なカテゴリーにおいての流動性を東京らしさと呼ぶ人もいるだろうが、一時的で根付かない大量の流行を次々とぶち込まれて、言わばレイプされていく「東京」にみんなでしがみつく行為が、好きになれないのだと思う。
だからこそ、一見すると華のある都市部で、パークがなかったり、思いっきり乗れる場所がなかったり、セキュリティが厳しかったり、チャリとは全然関係ないとこだけど、家賃が高くて生活が困窮したり…人それぞれ事情は違うけど、窮屈な環境でそうやってサバイブしてるローカルの姿こそ「東京」を反映した「らしさ」だと感じて尊敬してきたし、今でも尊敬している。
話が大きくそれたけど、東京に住んでBMXに乗るという事に、他人の評価を少し足して、自分自身がアイデンティティを持てるようになったことが嬉しかった。
これが2012年の出来事。
翌年2013年、突如NYのanimal bikesがジャパンツアーを組む事になったとペギーからの連絡が入った。全国のショップの営業回りが終わったら、都内を拠点に2週間のシューティングを行うらしい。で最後に「アテンド任されたんだけど」とペギーが一言。
いやいや大事件っしょそれ。ということで状況は大きく変わり始めた。
つづく
2016年9月18日日曜日
2016年6月20日月曜日
とあるローカルライダーの丸腰な主張④
僕たちは「街をいかに使うか」をテーマにしたライディングに着実に順応しつつあった。あくまで主観だけど。
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常に動き回ってスポットを見て、考えて、撮るという流れに頭も体もついてくるようになってからは「ここ、チルできるし乗れるよ♪」みたいなスポットにはあまり行かなくなっていた。まあチルはチルで好きだけど、なんて事のないスポットからカットをひねり出す感覚は、とにかくすごく魅力的だった。
自分たちの乗り方とか新しい視点でのスタイルが明確になってきて、それを「スポットライディング」って形容して、共通語みたいに使い始めたのもこの頃だ。
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そもそも、スポットの話を共有するときに「いいカーブ」とか「いいバンク」とかって言いかたは結構一般的だと思う。じゃあ何をもって「いい」のかっていうと、長いとかよく滑るとか広いとかデカいとか、スポットにおけるトリックの自由度に注視しがちだったりする。
嫌な言い方になるかも知れないけど、どんだけ使いやすいスポットなのかってところにしか興味はなくて、あとはスキルの発表会的な…。んなら、パークで良くね?
念のため「そーゆう人たちダサいよ!」とかそんな短絡的な話ではない。実はこの価値観については結構自分でも思い当たることは多い。持ち技が増えることはすごく嬉しい。だからすごくカットに残したくなる。結果、それを発揮できるスポットが大好き!ちょー共感できるし、そういう視点でスポットを選ぶこともある。だけど、そればかりに囚われた結果、必ず行き詰まることは、
「そんな都合のいいスポットはない」
ということ。東京は特にその傾向が強いと思う。日常的にパークがないからストリートで乗る。じゃあストリートに、しかも都心に、デカくて程よくグリップして助走がちゃんと取れるバンク、よく滑って長くて面が広くて苦情が来ないカーブがあるかって、そんなわけない。
結局、街の特性は変えられないわけで、それなら東京の街で東京らしさをもって乗るってことを追求した方が自然だしリアルだ。なにより、もともと乗るために作られてない場所を勝手にスポットと呼んで乗ることがストリートライドの本質だと思う。
街の特性から身体に染み付いた、どローカルなスタイルがあったっていいし、クリエイティブさを追求していく価値観も「スポーツ」じゃないからこそ存在できるBMXの多様性だ。そんな感じであーだこーだ話したことが、スポットに合わせてトリックやらラインを考える「スポットライディング」に繋がったと理解している。個人的には。
誰も見向きもしないような小さなバンク、ウォールというには低すぎるタイトなバンク、どう見てもチャリが詰まるアール、短すぎてスケートでしか使えなさそうなカーブ…よく見てみると都心にはこういうスポットが腐るほどある。
考えて乗って撮ってみて、意外とかっこよくなったり、いやイケてねーなとまた考えたり、エッジの効いていないスポットを改めて見返してルーティーンなら映えそうだと考えたり。そんなことの繰り返しで、腐るほどあるスポットに対して腐るほど頭を捻れば、使い方は見えてくるし、スポットに飽きることも終わりが来ることも、そうそうない。下手したら、カットになるまでに、考えるところから数えて数年かかってることすらある。
「いやーあのスポット、使うまで3年かかったわー」
「まじ?あれとうとう使ったの?やばいね!」
みたいな。発想も込みでスキルって言えるあたりがすごくクリエイティブだと思っているし、気に入ってるし、性に合っている。
マッチョでハードでテクニカルなライディングには敬意を持つ。だけど「とにかくスキルと凄さが正義」っていうスポーティーな価値観の中で、ライダーやローカルとしての「らしさ」とか「多様性」を見失ってしまうのはまっぴらごめんだ。
てめえずいぶんぬるま湯に浸かってんなーと自分でも思う。でもそれ以上に、ぬるま湯から切り開く価値観があっても良くね?と思う。
リアルストリートに組織的に取り組む話のはずが、とんでもなく脱線。
つづく
嫌な言い方になるかも知れないけど、どんだけ使いやすいスポットなのかってところにしか興味はなくて、あとはスキルの発表会的な…。んなら、パークで良くね?
念のため「そーゆう人たちダサいよ!」とかそんな短絡的な話ではない。実はこの価値観については結構自分でも思い当たることは多い。持ち技が増えることはすごく嬉しい。だからすごくカットに残したくなる。結果、それを発揮できるスポットが大好き!ちょー共感できるし、そういう視点でスポットを選ぶこともある。だけど、そればかりに囚われた結果、必ず行き詰まることは、
「そんな都合のいいスポットはない」
ということ。東京は特にその傾向が強いと思う。日常的にパークがないからストリートで乗る。じゃあストリートに、しかも都心に、デカくて程よくグリップして助走がちゃんと取れるバンク、よく滑って長くて面が広くて苦情が来ないカーブがあるかって、そんなわけない。
結局、街の特性は変えられないわけで、それなら東京の街で東京らしさをもって乗るってことを追求した方が自然だしリアルだ。なにより、もともと乗るために作られてない場所を勝手にスポットと呼んで乗ることがストリートライドの本質だと思う。
街の特性から身体に染み付いた、どローカルなスタイルがあったっていいし、クリエイティブさを追求していく価値観も「スポーツ」じゃないからこそ存在できるBMXの多様性だ。そんな感じであーだこーだ話したことが、スポットに合わせてトリックやらラインを考える「スポットライディング」に繋がったと理解している。個人的には。
誰も見向きもしないような小さなバンク、ウォールというには低すぎるタイトなバンク、どう見てもチャリが詰まるアール、短すぎてスケートでしか使えなさそうなカーブ…よく見てみると都心にはこういうスポットが腐るほどある。
考えて乗って撮ってみて、意外とかっこよくなったり、いやイケてねーなとまた考えたり、エッジの効いていないスポットを改めて見返してルーティーンなら映えそうだと考えたり。そんなことの繰り返しで、腐るほどあるスポットに対して腐るほど頭を捻れば、使い方は見えてくるし、スポットに飽きることも終わりが来ることも、そうそうない。下手したら、カットになるまでに、考えるところから数えて数年かかってることすらある。
「いやーあのスポット、使うまで3年かかったわー」
「まじ?あれとうとう使ったの?やばいね!」
みたいな。発想も込みでスキルって言えるあたりがすごくクリエイティブだと思っているし、気に入ってるし、性に合っている。
マッチョでハードでテクニカルなライディングには敬意を持つ。だけど「とにかくスキルと凄さが正義」っていうスポーティーな価値観の中で、ライダーやローカルとしての「らしさ」とか「多様性」を見失ってしまうのはまっぴらごめんだ。
てめえずいぶんぬるま湯に浸かってんなーと自分でも思う。でもそれ以上に、ぬるま湯から切り開く価値観があっても良くね?と思う。
リアルストリートに組織的に取り組む話のはずが、とんでもなく脱線。
つづく
2016年5月28日土曜日
とあるローカルライダーの丸腰な主張③
「下手なりに自分ができること」を考えるということはつまり「下手だから出来ないこと」にぶち当たるってことでもある。
まあ簡単に言えば技数の少なさがクリップの量を少なくしていることは明らかだった。要は練習して色んな技をモノにするか、別のことを考えて工夫するかという選択を迫られたわけで、結果として工夫することを選択したってことは、怠惰っちゃ怠惰です。
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で、とりあえず工夫をすることに(勝手に)迫られて、思い付いたのが「スポットを漁りまくること」だった。「街を使うこと=技+スポット=クリップ」と考えてみると、技数の少ないぼくにとって、スポットを多く知ることがクリップを貯める最短の方法だと思えた。
元々スポットシークは好きだったけど、近所からよく通う街まで含め、見ていない路地は死ぬほどあったし、スポットっぽいけど、使えねーなーみたいなスポットも山ほどあった。あとヒマだった。
スポットシークしながら通勤して仕事してスポットシークしながら帰って、スポットシークしながら乗って撮影して、乗る元気がなければスポットシーク。乗りすぎて夕方まで寝ちゃった時は夜からスポットシーク。チャリ以外の用で外出したらスポットシーク…とまあアホみたいにスポットシークばかりしていたが、気付いたら3度の飯と歯磨きとう◯このレベルでスポットシークが生活の一部になっていた。
多くのスポットを知ることで、クリップを貯めるペースは多少なりとも上がった。当然、スポットの中には使えねーなと見切るスポットも多かったけど、そういうスポットはペギーと、こうしたら使えるだのああやったらかっけーだの話すことでお互いのクリップの足しになっていった。
自分のためにやっていたことが、こういう相互的な作用を産むということはすごく面白いことだった。
さらに、路地に詳しくなることは、リアルストリートについて回る色々なリスクを回避することにも繋がっていった。
交番の位置やチャリ検問の重点道路を把握すれば、ノーブレーキで行動することのストレスが軽くなる。仮にキックアウトされてもスポットを知っていれば後の行き先にも困らない。
「警察や警備員に注意されて悪態をつく若者」という構図は好きではないし、望んでもいない。できれば人知れずノンストレスで効率よく乗りたいというぼくらの目的には、スポットを漁って街に詳しくなるということがぴったりだった。
こんな感じで、最初「自分のクリップを増やすこと」が目的だったスポットシークは、ペギーと共有することで、結果的に色々な副産物を産んだ。
「いかに街を使うか」というテーマに対して、ただ漫然と乗ることよりも、たった2人だけど相互的に組織的に考えることが面白くなっていった。
つづく
まあ簡単に言えば技数の少なさがクリップの量を少なくしていることは明らかだった。要は練習して色んな技をモノにするか、別のことを考えて工夫するかという選択を迫られたわけで、結果として工夫することを選択したってことは、怠惰っちゃ怠惰です。
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で、とりあえず工夫をすることに(勝手に)迫られて、思い付いたのが「スポットを漁りまくること」だった。「街を使うこと=技+スポット=クリップ」と考えてみると、技数の少ないぼくにとって、スポットを多く知ることがクリップを貯める最短の方法だと思えた。
元々スポットシークは好きだったけど、近所からよく通う街まで含め、見ていない路地は死ぬほどあったし、スポットっぽいけど、使えねーなーみたいなスポットも山ほどあった。あとヒマだった。
スポットシークしながら通勤して仕事してスポットシークしながら帰って、スポットシークしながら乗って撮影して、乗る元気がなければスポットシーク。乗りすぎて夕方まで寝ちゃった時は夜からスポットシーク。チャリ以外の用で外出したらスポットシーク…とまあアホみたいにスポットシークばかりしていたが、気付いたら3度の飯と歯磨きとう◯このレベルでスポットシークが生活の一部になっていた。
多くのスポットを知ることで、クリップを貯めるペースは多少なりとも上がった。当然、スポットの中には使えねーなと見切るスポットも多かったけど、そういうスポットはペギーと、こうしたら使えるだのああやったらかっけーだの話すことでお互いのクリップの足しになっていった。
自分のためにやっていたことが、こういう相互的な作用を産むということはすごく面白いことだった。
さらに、路地に詳しくなることは、リアルストリートについて回る色々なリスクを回避することにも繋がっていった。
交番の位置やチャリ検問の重点道路を把握すれば、ノーブレーキで行動することのストレスが軽くなる。仮にキックアウトされてもスポットを知っていれば後の行き先にも困らない。
「警察や警備員に注意されて悪態をつく若者」という構図は好きではないし、望んでもいない。できれば人知れずノンストレスで効率よく乗りたいというぼくらの目的には、スポットを漁って街に詳しくなるということがぴったりだった。
こんな感じで、最初「自分のクリップを増やすこと」が目的だったスポットシークは、ペギーと共有することで、結果的に色々な副産物を産んだ。
「いかに街を使うか」というテーマに対して、ただ漫然と乗ることよりも、たった2人だけど相互的に組織的に考えることが面白くなっていった。
つづく
2016年5月12日木曜日
とあるローカルライダーの丸腰な主張②
「下手なりにシーンに影響を与えることにも関わりたいと思うBMXへのスタンス」って結局のところなにかと。上手く言えないけど、それは「駒」になるってことだと思う。
もちろん、自分が楽しいと思いながら乗る事が大前提で、駒になるために乗っているわけではない。で、駒=犠牲みたいな聞こえ方もあるけど、ぼく自身そんな捉え方もしていない。
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もともと、新宿をローカルとして乗るようになったのは7年前。ペギーっていう友達をツテに引越し、MoyacyRidersとつるむようになった。元から知っていたBGMのまこっちゃん、ゆうごさん、STRANGERの人たちと近い環境で乗りたいと思っていたこともローカルを変えた大きな理由だった。
7年って振り返ると長いけど、安定してMoyacyRidersのみんなとつるんでいられたのは最初の2年くらいで、お互いの仕事や生活環境の違いから神楽坂周辺のごく近いライダーとだけ乗るようになっていた。
こういうローカル分離バナシはよくあることなので、寂しいと思いながらも特に気にせず乗っていた。で、気づけばMoyacyRidersで言えばペギーとだけ乗るようになっていた。ペギーとは考え方とか根暗具合とか好きなラーメンとか色んな共通点があったけど、なにより2人とも「ヒマだった」こと、そしてチャリで何も残せず終わるのか…という煮え切らない何かへの「あきらめの悪さ」が一番の共通点だったとぼくは思っている。
この頃のぼくらが大きな影響を受けていたのが西新宿を住処とするBGMのまこっちゃん。
警察うるさい、キックアウトはやい、乗りやすいスポットない…と、ストリート色の強いイメージの都心部は、実はものすごく乗りにくい。そんな状況に(理由は他にもクソほどあるけど)葛藤していたぼくらに、リアルストリートの魅力を別の角度から考えさせてくれたのはまこっちゃんだった。
で、なんとなく出した方向性は、他人が使わないスポットを使う。他人が考えないことをやる。でいて、自分たちなりにカッコいいと思うことをするということ。
で、この方向性をベースに「街をいかに使うか」というテーマのもと、とにかく2人で乗りまくった。ペギーはこの頃すでに複数のサポートがついている状態で、スキルには結構な差があったと思う。当然、フッテージを作るにあたってカットを残すペースはペギーの方が早い。ぼくは自分なりの工夫をすることが必要だと考え始めた。
このあたりからぼくは「下手なりに自分ができること」を考えるようになった。
ちなみにまだ「駒」になるという感覚はない。
ここ5年くらいを文章にするんだから当然なんだけど、
なげーな。
つづく。
2016年5月11日水曜日
とあるローカルライダーの丸腰な主張①
ライディングに対してスポンサーがつくとか、知名度が上がるということには、当然ある程度のスキルが伴うべきものだ。で、そこで言うとぼくにそのスキルはないと自覚している。
でも、ただ乗る事が楽しいとかあの技がやりてーとか、そういう短絡的な理由で乗れる性格ではないし、鼻からそのつもりもない。面倒な性格だ。
幼少期から勝利至上主義の「スポーツ」に関わって高校生で晴れて燃え尽きたぼくとしては、BMXのスポーツとしての要素だけを楽しむ事は出来ない。だからと言って、乗る事が楽しい、新しい技がやりてーというピュアな価値観をコケにしたいわけでもないです。
じゃあテメー何がしてーんだと。
どんな範囲であろうと何かしらの世界に変化が生まれる事や、影響を与えることを含め、どこかの誰かのコピーアンドペーストではない状態で、BMXに向き合っていたいんですね、恥ずかしいことに。有名無名に関わらず、そういうモチベーションでBMXに乗る事は出来るし、他者からチヤホヤされる事に拘らなければ、シーンに影響を与える一要因になれる。(…と思い込むようにしているだけかも。)
「頭の使い方一つですぐにつける核心」
って昔MC漢が言っていたけど、個人的にはまさにその通り。BMXやらスケートやらっていう、ルールとか明確な勝ち負けへのアンチテーゼの塊みたいなものにハマってるんだから、発想の転換とか頭の使いどころをパフォーマンスに反映させたいってのは当然のスジだと思うわけです。
その昔、とある有名ライダーに「シーンの事はおれらに任せて、お前らはとにかく乗ってくれ」って言われた事があって。今考えれば「難しいこと考えなくていいからとにかく楽しんで欲しい」ってスゴく男前でありがたい言葉なんだけど、妙にムカついた…というか悔しかった記憶がある。「ローカルライダーはシーンの蚊帳の外かよ!ずいぶん上からじゃねーか。ナメんなよクソ!」ってな感じで。とある有名ライダーに今更突っかかる気なんてないし、ぼくがひねくれていたのがそもそもの原因だけど、下手くそローカルライダーなりに、シーンへの影響も含めてBMXに向き合いたいっていう気持ちは未だに持ち続けているつもりです。
じゃあテメー具体的に何を考えてどんなことやってきたんだと。
前フリが異様に長くなりましたが、自分なりになるべく謙虚に丸腰で、少しずつ書いていきます。
つづく。
でも、ただ乗る事が楽しいとかあの技がやりてーとか、そういう短絡的な理由で乗れる性格ではないし、鼻からそのつもりもない。面倒な性格だ。
幼少期から勝利至上主義の「スポーツ」に関わって高校生で晴れて燃え尽きたぼくとしては、BMXのスポーツとしての要素だけを楽しむ事は出来ない。だからと言って、乗る事が楽しい、新しい技がやりてーというピュアな価値観をコケにしたいわけでもないです。
じゃあテメー何がしてーんだと。
どんな範囲であろうと何かしらの世界に変化が生まれる事や、影響を与えることを含め、どこかの誰かのコピーアンドペーストではない状態で、BMXに向き合っていたいんですね、恥ずかしいことに。有名無名に関わらず、そういうモチベーションでBMXに乗る事は出来るし、他者からチヤホヤされる事に拘らなければ、シーンに影響を与える一要因になれる。(…と思い込むようにしているだけかも。)
「頭の使い方一つですぐにつける核心」
って昔MC漢が言っていたけど、個人的にはまさにその通り。BMXやらスケートやらっていう、ルールとか明確な勝ち負けへのアンチテーゼの塊みたいなものにハマってるんだから、発想の転換とか頭の使いどころをパフォーマンスに反映させたいってのは当然のスジだと思うわけです。
その昔、とある有名ライダーに「シーンの事はおれらに任せて、お前らはとにかく乗ってくれ」って言われた事があって。今考えれば「難しいこと考えなくていいからとにかく楽しんで欲しい」ってスゴく男前でありがたい言葉なんだけど、妙にムカついた…というか悔しかった記憶がある。「ローカルライダーはシーンの蚊帳の外かよ!ずいぶん上からじゃねーか。ナメんなよクソ!」ってな感じで。とある有名ライダーに今更突っかかる気なんてないし、ぼくがひねくれていたのがそもそもの原因だけど、下手くそローカルライダーなりに、シーンへの影響も含めてBMXに向き合いたいっていう気持ちは未だに持ち続けているつもりです。
じゃあテメー具体的に何を考えてどんなことやってきたんだと。
前フリが異様に長くなりましたが、自分なりになるべく謙虚に丸腰で、少しずつ書いていきます。
つづく。
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